ロロノア家の人々 “海からのレシピ…”
 


 
 背丈が結構あったんで、その分もスリムで脚が長くって。そんな自分の風貌の魅せ方をよくよく知ってて、切れのいい動きがいつだってそりゃあ冴えてた。何をやらせても優雅な仕草を見せてた奴で、ゾロは今でも“キザな奴だった”としか言わないけれど。左側から見た横顔は髪が邪魔して、口許しか見えなかったから…一見笑っててもどうとも解釈は出来て。果物を剥く時の手つきとか、無駄なくてきぱきと動いてたのが見事だったのは、本人謂く慣れから一番効率のいいやり方が自然と出ているだけの、所謂“機能美”だったそうだけど。肘の手前までという適当さでまくられたシャツの袖とか、これもシャツの胸元のボタンの外し方の微妙さ加減とか。雑なのにそこが微妙で、だから気になって視線がゆく。そういうのを“男の色気”っていうのよって、後になってロビンに教わったっけ。

 煙草を吸うときの所作が印象的だったのは今でも覚えてる。手慣れたものだったので、周囲の空気を遮ることもなく。ほんの刹那という短かなものだのに、流れるような一連の仕草が、じっと見ているとそりゃあ綺麗で決まってた。表情を落とし、少し伏し目がちになるので、意外と睫毛が長いんだなんてことに気がつく。紙巻きの先に灯されたマッチの火を、覆うように添えられる風除けの手の、何げない形がまた様になっていて。細おもての横顔に見とれていると、そんなこちらに気がついて。どした?なんていう小さな瞬きで案じてくれる。何でもねぇってかぶりを振ると、変な奴だと柔らかく笑ってくれた。落ち着いた濃色の金の髪に、宝石みたいな水色の瞳。細い鼻梁に細い顎。隠しごとを見抜くのが上手で、でも、隠しておきたいって顔を向ければそれも通じて。特に掘り起こすこともせず、おやと眸を見張ったり、しょうがないなぁと苦笑したり。誰かの名誉や誇りのために怒ったり、誰かの幸せを祝って笑ってくれたり。そんなこんなで表情は豊かな方だのに、ちょっとシニカルに笑うことも多くて、自分の感情へはベールをかけてるのがデフォルトだった。


  …………… 結構蹴られてたけど、俺、もしかしてサンジに嫌われてたのかなぁ。







            ◇



 東の海の和国の奥地。それは鄙びた山野辺の、小さな小さな寒村に、長閑な土地にはともすれば不似合いな、武道の道場がありまして。ちょいと古風な建物ながら、ここに建ったのはつい数年前。さして歴史もないそこでは、それでも毎日、元気な声が聞こえていたし、溌剌とした笑顔が覗けてもいたし。家人の皆様は元より、毎日近隣から通ってくる若いのや子供たちも、それは健やかににぎやかに、平和で安寧な日々を過ごしておりまして。これも荒ぶる時勢の余波でか、時には…野盗の成れの果てとか、落ち伸びて来た海賊だとかいう、何とも物騒な訪問者もなくはなかったのですが。はたまた、わざわざ此処をと目指しての、腕に覚えの豪傑のご訪問もあったのですが。どっちにしたって慌てず騒がず。前者の場合は、頼もしい門弟さんたちやお元気な奥方も交えての痛快な成敗劇へと帰するのがオチでしたし、後者の場合は、道場での正式な立ち会いという形にて師範が直々に相手をし。どんな武器を持った相手でも、大男でも凄腕の剣士でも、それは見事な太刀筋で、緑頭のお父上がそれはあっさりと薙ぎ倒すのが、やはりセオリーとなっておりまして。
『お父さん、凄いっvv
『お父さん、つおいvv
 愛らしい坊やとお嬢ちゃんという双子の我が子たちが駆け寄るのを、その両腕
かいなで受け止める時にはもう、口数の少ない師範でお父さんという素の彼に戻ってしまうのですが。実は実は、この、両腕にそれぞれ小さな宝物を抱き上げて、何でもなかったような顔にすぐさま戻る御仁こそ。あの“グランドライン”という世界一苛酷な航路を制覇したその上に、世界一の剣士という意味の称号、大剣豪という名を冠された、ロロノア=ゾロという凄腕の剣士であり、そして。
『凄げぇな、ゾロ。』
 木刀での立ち合いだったから容赦しなかったのか、瞬殺ってやつじゃんかと、無邪気に笑いつつお褒めのお言葉を下さる小さな人物。師範が腕へと抱えたお嬢ちゃんと瓜二つなのに…何故だか男の子という不思議な間柄の奥方の方は、モンキィ=D=ルフィといって。こちらさんはなんと、その“グランドライン”での覇者を意味する“海賊王”という称号を得た存在だというから…人は見かけに拠らないにも程がある人たちなのだが。

  「ツタさん、ツタさん、今年はどんなケーキを焼くの?」

 何もかもを白い沈黙に閉ざす冬の雪が去り、村の自慢の桜たちがその花の時期を終えると、次には滴るような緑の季節。空の色もそこから降りそそぐ光の濃さもぐっと強まり、野を駆ける子らの声が溌剌と響く。れんげの広がる田圃はまだそのままながら、苗の準備は着々と進み。秋蒔きの小麦や野菜を収穫する畑には、菜の花やスズシロの可憐な花が淡色にての縁取りをしていて何ともきれい。そんな長閑な村のあちこちに、風を飲んで泳ぐ大きな魚の幟
のぼりが高々と揚がり始めると。道場の皆は、何となく落ち着きがなくなって来る。この春から“やっとぉ”のお稽古を始めたばかりの小さなお兄ちゃんも、くりっとした大きな瞳がお母さんに瓜二つのお嬢ちゃんも。賄い担当のツタさんやお手伝いさんも、師範を尊敬しまくりでそれぞれに凄腕の門弟さんたちも。通いの生徒さんたちやご近所のお母様がた、師範と飲み仲間のお父様がたにお寺の和尚さんなどなどが、さあ今年はどんなお祭りにしようかねと、楽しそうに知恵を持ち寄るのが。子供の日の催しとそれから、そのままなだれ込むのがセオリーと化している、当家の奥方のお誕生日のお祝いで。
『子供の日がお誕生日なんですか。』
 それはまた上手く出来たもんですねぇと、褒めているやら笑っているやら。この村ではどなたもが同じ反応を見せるので、
『???』
 何でまたと首を傾げた奥方へ、
『前に言ったろうが。この国じゃあその日は、子供が無事に健やかに育ちますようにって祝うんだって。』
 緑頭のうら若きご亭主が、おいおいと苦笑しながらご説明くださり。
『じゃあさ、じゃあさ♪』
 自宅の道場にも子供たちがたくさん通って来るのでと、そのタンゴの節句とかいうお祝いもかねての、にぎやかなお祭りにしちゃおうようと、当事者の奥方が言い出したのを切っ掛けに。毎年毎年、お花見に負けじというほどものにぎやかさでの、宴が催されるようになった。食いしん坊の奥方は、たっくさんの御馳走をたっくさんの皆でワイワイと食べられるのが楽しみでの発案だったらしいのだが、そんなお祭り騒ぎはあっと言う間に、村の人たちにもお楽しみな祭事となってしまい、
『何十年か後になったら、謂れはどっかへ行ったままながらカレンダーにも載りかねないな。』
 そういう行事や記念日って結構ありますものねぇ。
(苦笑) 子供たちもまた、物心ついた頃から、大好きなお母さんへの贈り物に頭をひねるようになっており。殊にお嬢ちゃまは、お料理上手なツタさんやお手伝いさんと一緒に台所へ立つようにもなり。毎年焼かれる大きなケーキへの趣向へも、一緒になって知恵を絞るようになっていて。
「そうですねぇ。今年はどんなのにしましょうかねぇ。」
 どちらかと言えば、おはぎや白玉、お焼きに揚げ餅、和風のおやつがお得意なツタさんも、毎年のように手掛けていれば慣れても来る。最初の年は若いお手伝いさんが一人で頑張って作っていたケーキも、年々大きいものになってゆくその過程で、手を貸すうちに共同製作となってしまって久しくて。
「去年のシュークリームを載せたのも好評でしたよね。」
「あ、そうそうvv みおも あれ好きvv」
「そうでしたねぇ。じゃあ今年もお人形さんはシュークリームで作りましょうか。」
「でもね、それだとピンクのとかはダメでしょ?」
「そうでしたね。表面へチョコがけしたとしても、一色しか使えませんね。」
 砂糖菓子のお人形はやっぱり外せないものと、みおちゃん、そこは譲れないらしく。何故ならば、
「じゃあじゃあ、お人形は みおが作るね?」
 一昨年のお人形さんを、あの喰いしんぼのお母さんが3日という長いこと、食べないで大事に取っていた。お父さんとお母さん、お兄ちゃんと みおちゃんという家族4人の姿を、お手伝いのお姉さんが頑張って作って下さった傑作で、何だか勿体なくってと、暇さえあれば眺めてた。それを覚えていたものだから、今年はみおが作って喜んでもらうのと、意欲も満々なお嬢ちゃま。
「さぁて、それじゃあ土台のケーキは…。」
 どうしますかねぇとお顔を見合わせていると、そんなお台所へとパタパタ小さな足音が近づいて来て、
「ツタさん、お茶ちょうだい。」
 ひょこりと顔を出したのが、道場で竹刀を振り回して来たらしき、豆剣士のお兄ちゃん。道場に上がることとなったため、目にかかったりしないようにと、お父さんと同じ緑の髪を短く刈ってて。そんなせいでますますのこと父上に似て来てと、お母さんはそこもまたお気に入りらしかったが、それはともかく。最近はその道場での練習が面白くてしょうがないらしくって、今もお友達の衣音くんと二人、打ち合いをやっていた模様。
「あ、いけないんだ。お父さんが見てないところで竹刀振ったらダメなのに。」
「うっさいな。お前このごろ生意気だぞ。」
「なによ。お兄ちゃんがいけないんでしょ。」
 寄ると触るとこづき合うのも、これまたそういう年頃なのか。そこまで行くといつだって、お嬢ちゃんが泣かされてしまうので。そうならないうちにと、それぞれをさりげなく引き分けようとしたツタさんが、ふと。
「あら。坊っちゃま、それはどうされました?」
 道着姿のその懐ろに、何だかくたびれた封筒を挟んでる彼であり、
「ん〜、さっき郵便屋さんが来てた。」
 そうだった忘れてたと、白湯ほども薄くて冷ましたお茶を大きな湯飲みにもらったのを、ぐんぐんと勢いよく飲みながら、坊やが無造作に差し出したのが…随分とくたびれて角も擦り切れた1通の封書。
「あらまあ、これはまた…。」
 辛うじて此処の村の名前が表にあって、表の隅に貼られた“ろろのあ・ぞろ様参る”という…配達の担当者が途中で書き足したらしい付箋の配慮がなければ、到底届かなかったに違いない、何とも曰くのありそうなお便りであり、
「何でしょうね。」
 横合いから覗き込んだお手伝いさんも、不安げに眉をひそめてしまっているのは。世界一の剣豪と冠されたままの師範には、時々“果たし状”なんてものも届くからだったが、
「お魚の匂いがするよ?」
 ツタさんの手元を見上げてたみおちゃんが、そんな風に言い出して。お魚?と怪訝に感じながらも、そぉっとお鼻を近づけてみれば、
「…あら、本当だ。」
「港や海の近くから届いたのでしょうか。」
 差出人の名前は、どこを探しても見当たらない。書いたには違いなかろうに、雨に打たれの、埃や油で汚れのして霞んでしまったようであり、
「封を切れば中はきれいかも知れませんね。」
 さっそく旦那様にお渡しして来ましょう。あ、みおが行くのvv いつものようにとお嬢ちゃまが大事そうに…ちょっと不安げに、手にしたお手紙を母屋の居間で寛いでいた師範殿までお届けしたのだが。そのお便りはどういう訳だか、お父さんが目を通してからツタさんの手へと一部だけが戻されて。そうしてそして………。





 お天気にも恵まれた五月五日の晴れの日は、まずはの恒例、門弟さんたちのお餅つきで幕を開け。白いのとそれから、海老粉の緋色とヨモギの緑、3色のお餅がお母さんたちの手で器用にクルクルと丸められ。それとは別に、カシワの葉に巻かれた柏餅もお出ましし、神社にお祓いにと行って来た男の子たちばかりじゃない、女の子にも公平に、好きなだけお食べなさいねと振る舞われる。甘いのは苦手な大人には、竹のお猪口につがれた清めのお酒。それからそれから、裏手の竹林で穫り放題状態だったタケノコをふんだんに使った、田楽に炊き込みご飯に、炒りどりに天ぷら。ヤマメの塩焼き、猪肉のしょうが焼き、大御馳走が並んでの、お昼ご飯だか早めの晩餐だか、よく判らない会食へとなだれ込み。そうこうする内、陽も落ちて。宵の口あたりの時間帯になれば、最初からおいでだったお子様連れの顔触れが、それじゃあ御馳走様でしたとお帰りになり。そこからは家族でのお祝い、お母さんお誕生日おめでとうの会へと、宴は塗り変わるのだが。
「さぁさ、奥様。今年のケーキはこちらですよ。」
 相変わらずの大食漢。この痩躯の一体どこに収まるものか、さすがゴムの体は収納力が違うやねぇというほども、山ほど海ほど食べなさる奥方へ。途中の催し、子供らとの鬼ごっこなぞを楽しんで、しっかりと腹ごなしをしちゃった、まだまだ食べられるよんなんて豪傑ぶりを示してたその鼻先へ、さあどうぞと引き出されたのは、
「…あれ?」
 山高帽子みたいに普通のよりも高さのある丸ぁるい台座に、なめらかな生クリームがたっぷりと、塗り立ての漆喰壁のようにわざと表情を作って塗られてあって。上の面には真っ赤なイチゴと紅色のラズベリー、濃紫のブルーベリー。この村では作っていない筈の果物が、それはカラフルに載っている。ベリーたちが片隅に集まってるその場所から、真っ直ぐ対面の縁までを、途中でループしている飴細工のリボンが飾っており、
「お母さん、綺麗でしょ?」
 みおちゃんが“さあどうぞ”と、切り分け用のナイフを持って来たけれど。食いしん坊さんのお母さん。大きな眸を見開いて、ケーキにじっと見とれて動かない。
「お母さん?」
 小さなお嬢ちゃんが、そして坊やまでもが、どうしたの?と案じて寄って来たのを、両方の腕に抱きかかえ、
「なんで…これってどうやって作ったんだ?」
 どうしたらいいんだろうと、もぞもぞしてから…ちょっぴり鼻声になっちゃったお母さんであり。そんな彼をそれは和んだ眼差しで見やってたご亭主が、ほれと差し出したのが、先日届いたぼろぼろのお手紙で。
「懐かしいケーキなの、すぐに判ったみてぇだな。」
「…判らない筈、ねぇじゃんか。」
 生クリームたっぷりのシフォンケーキはサンジの得意技だったから。拗ねたり怒ったり、時には…寂しそうに背中を丸めていたりすると、口では“しゃんとしな”なんて叱りながらも、必ず焼いてくれた。途中からどういう訳だか惚気になることも多かったゾロへの愚痴も、辛抱強く最後まで聞いてくれた、喧嘩っ早かったけど優しくもあった、そんな優しいシェフがつくってくれたものだもの。
「何年前に出したものやら、その手紙が先日届いてな。」
 一応は“誕生日に”っていう手紙らしいから、まあタイムリーには違いないわな。二人とも元気でいるのか、子供らも大きくなったろな、ウチにもそりゃあ可愛い姫が生まれたぞと、ごくごく普通の便りが綴られ、それとは別に、ケーキのレシピが綴られたものが同封されてあり、


  《 誕生日、おめでとう。》


 遥かに遠い海の向こうから、何年もかかって届いたお祝い。もしかしたらば、もう逢うことはかなわないのかもしれない、それでも世界一大事な船長へ。出会えてよかった、生まれて来てくれてありがとうと、そんな暖かな想いを載せて届いた、優しい手紙。
「お母さん?」
「どうしたの? この紫のは嫌いなの?」
 今にも泣き出しそうにお顔がくしゃくしゃになっちゃったお母さんへ、まだ何も知らない子供たちが心配して左右から声をかけて来たが、

  「嫌いなもんか、大好きだ。」

 ゾロ、丁寧に切れ。あ? 俺がか? そーだ。そいでお前も食えよ。はいはい…と。何となくながら、一番に事情と心情を判り合ってる二人が言い合い、大きめのケーキにナイフが入る。
“…あのヤロめ。”
 凄まじく遠くから、こんな印象的な贈り物しやがってよと。またもや粋な計らいで、一枚上手の手を打たれてしまった、今は遠い恋敵への、せめてもの悪態をつきながら。それでも…奥方をひどく感動させてくれたのへは素直に感謝を捧げながら。世界一の剣豪が、唯一勝てない奥方を、いともあっさりと泣かせてしまった、言わば“世界最強のケーキ”のお味はいかがなものか。皆でのご相伴と相成ったのでありました。




    
HAPPY BIRTHDAY! TO LUFFY!









            ◇



「…っと、あんまり細かい材料や香料は指定しない方がいいかもですね。」
「そうね。ずんと山奥の田舎だって言ってたから、品揃えするのが無理なものもあるかもしれないわよ?」
 包丁を操るときは、結構 頼もしくも力強く働いて、力仕事へは指の付け根の節が立ちもするその同じ手が。羽飾りも小粋なペンを優しく握っている今は、輪郭が溶け込みそうな白いまま、やはり真っ白な用箋の上、それはなめらかに優美にと動くのがちょっと不思議。恐らくは…今現在の彼しか知らない知己たちは、こちらの、繊細な様子の方こそが彼の素の姿だと思っているに違いなく。でもでも、
“厨房では鬼って恐れられてもいるのにね。”
 ご本人に言わせれば“キッチンはコックにとっては戦場”だそうで。盛り付けの段階では、興に乗っての舞うような優美さでかかってることもありはするけど、そんなのごくごく稀なお話。素材によっては斬りつけるような眸をして一番効率のいい捌き方を検討していたり、話しかけたら蹴られるのではというほど尖った顔で、肉の焼き加減を見極めていたりもする。そんな彼だってのを重々知っているから、
“やっぱりあっちがホントの素顔、なのかしらね。”
 奥方としては、そうと思ってしまうのも無理はなく。そういえば。この人は昔から、さほどむくつけき姿でないまま、なのに、あの豪傑剣士と同じくらいの強靭さで、死線を分ける勝負をこなして来た人でもあって。
「…でも。」
 口に出すつもりではなかったのだが、うとうととし始めているお嬢ちゃんを抱え直した弾みに乗って、ついついぽつりと音になって口を衝いて出てしまった一言へ、
「何か?」
 視線が上がって来て。眩しいものでも見るかのように、その目許がやんわりと和む。男性でなくとも軽々と包み込めてしまえるほど、小さな小さなお手々を伸ばしてくる幼子に気づいたのだろう。椅子を回してきちんと体ごと向かい合い、長い両腕を“おいで”と伸ばす彼であり。苦笑交じりにそれでも、そんな所作に応じてベルちゃんを譲って差し上げれば。やはり細っこいままの腕に見えるのに、余裕のある抱きようにてお姫様を受け取ると、その懐ろへと掻い込んで。ふくふくと愛らしい愛娘へ、すっかりと相好を崩したままなお顔を向けるシェフ殿であり、
「届くの?」
 会話を続ける奥方へか、それとも間近になった姫君へか。金髪痩躯のシェフ殿は、楽しそうに“くすすvv”と笑って見せると、
「届くんじゃないですかね。」
「だって、正確な住所は判らないままじゃないの。」
「俺らは、ね。」
 でも。ウチのお得意さんには、悠久の歴史を誇る砂漠の王国の姫君や、タヌキの…もとえトナカイのお医者さんと親しまれている名医や、彼がいる奇跡の診療所の若夫婦。海列車の始発の島の名誉市長に、空を翔(かけ)る翼馬に跨がった、年老いてますます意気軒高な老騎士もいる。そんな人々の間を渡り歩かせることで、
「もしかしたら届くかもしれない。」
「やだ、呆れた。そんな方法で届けるつもりだったの?」
 おやでも、俺ら、運だけは強かったじゃないですか。そうかしら? 確かに、さんざんな窮地からも生き残れはしたけれど、
「その前提となる“酷い目にばかり遭ってた”ってところは、十分、運が悪かったとしか思えないわ。」
 さすがは聡明な奥方で容赦がない。即妙にもぴしゃりと言い返されたのへ、うむむと口ごもったシェフ殿だったが、羽織っていたジャケットのポケットから、お嬢ちゃんが禁煙用の薄荷パイプを掴み出したのへ気づいておおっとと慌てて見せ。メェですようとやんわり叱って取り上げてから、
「俺としては、ナミさんと知り合えた史上最高のラッキーが、どの不運をも相殺してますもんでね。」
 臆面もなくそんなことを言い切れるところも相変わらずの、ちょっぴりキザなフェミニスト。でもね、ずっと一緒にいると、そんなカモフラージュの奥もまた、見抜けるようになってるナミさんで。

  “それを言うなら…。”

 腕っ節は強かったけれど、要領が悪くてどうにも放っておけない、手のかかる海賊王に出会えたことをこそ、史上最高のラッキーだと思ってるくせに。やっぱりちょっぴり嘘つきな、シャイなまんまの伊達男さん。知ってる? 気づいてる? あなたやっぱり、ルフィの話をする時は、そりゃあ切ない眸をしてる。うっかりと割ってしまったお気に入りの器を悔いるような、翼があったら今にもどこかへ行きたいような、そんなお顔になっている。此処には居ないその上に、
“世界一の海賊王が相手じゃあね。”
 そんな相手に太刀討ち出来るわけないじゃないのと、ほのかに苦笑を浮かべたナミさん。そんな自分へと向けて小首を傾げるご亭主へ、何でもないのと も一度笑い、さあさ、それならもう何通か書いて一遍に出した方が届く確率も上がるんじゃないの? あ、そうですね。さすがナミさん、冴えてますよね。今度はあっさり、判りやすくもデレデレしたお顔になったのへ、お世辞はいいから書いた書いたと発破をかける。地球の裏側の、遠い遠い空の下。やっぱり幸せだろう変則ご夫婦へ、こちらも元気ですという笑顔ごと、どうか届きますように………。






  〜Fine〜  06.5.9.

  *時々無性にサンジさんのお話も書きたくなります。
   ゾロル前提の、報われない悲恋ものが好きとかいうのではなくって、
   単に、男の色香があって小粋でカッコいいシェフ殿に逢いたくなるから。
   でも私が書いてちゃあ、あんまりカッコよくはないですが…。
 

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